藤談義 映画批評
何を見るのか 私の体験と蓮實重彦 2006.7.14
映画の瞬間をすべて瞳に焼き付けることは絶対に無理である。だが映画は次にいつ見られるか分からない体験なのだから、映画を見る時には全身全霊を込めて見ることにしている。
では何を見るのか。
私の場合、映画の画面の中に出て来るものをすべて見てしまおう、という意図の下に映画を訓練した時期がある。そのキッカケを与えてくれたのはグリフィスの「イントレランス」(1916)であった。「イントレランス」が何故私を「見ること」に惹きつけたのか、それは良く分からない。多分「イントレランス」の被写界深度の深い鮮明で美しい画面と、映画の持つ細部の力が、そうしたことへと駆り立てたのかも知れない。もちろん訓練は生涯続くが、当事はメモであれ何であれ、意地悪な見方だと言われようが構わない、そんなことを言う連中こそ努力を怠る意地悪なのだと自分に言い聞かせながら、徹底的に見ることに拘った。必要とあらばショット数を図り、メモを取り、画面を凝視した。カメラの前を人が無造作に横切ればそれは何故かと考え、砂塵が舞えば必ずその意味を熟考し、一つ一つについてとにかく自分で考えてみた。そしてやってみると、画面を見る、ということが如何に難しいかを身をもって思い知らされたのである。例えば「長回し」、つまりショットの持続の有無ひとつにしても、つい画面に引き込まれてしまい「あれ?今のは長回しだっけ、、」と忘れてしまうことなどしばしば、カメラの動きについても、ついあったかなかったか忘れてしまったりすることの繰り返し、ただその中で、ビデオ鑑賞の場合は、ビデオテープを巻き戻しすることだけは自分に禁じ(注Ⅰ)、二度と会えないものとして画面を見ることに拘り続けた。そうして3年ほど経って、だいだい画面の中で通常起きていることは一定の条件の中で組み合わされていることが何となくだが分かったのである。例えば切返しの場合、それがあるかないか。あるとしてその方式は切断か持続か、さらにそれは人に対してか空間に対してか、前者の場合、会話との関係はどうか、その場合の顔の入り方や視線はどうだ、といった具合である。もちろんこれは「切返し論」であって、そこに加えて構図、装置、照明論や人物配置、あらゆるものが密接に絡んでくるので映画は難しい。
そうした後に初めてアンドレ・バザンなり蓮實重彦なりといった批評家の本を読み始めたのである。そこまでの流れはほとんどすべて独学であったと言うべきだろう。私は大学でも映画研究会といった所には入っていない。大切なのは生成の過程において自分の頭で自由に思考することなのだから。
こうして初めて蓮實重彦の本を読んだ時、その画面を見ることの卓越した映画愛に極めて共感し、その後も「画面」について語る批評家たちの書物を読み漁るようになったという次第である。だから私は蓮實重彦の「弟子」という訳ではなく、独学で画面を見て、その結果として、彼らに「必然的に行き着いた」という感じなのである。今、「季刊リュミエール」の当時の読者投稿などを見ていると、蓮實狂の人々はいったい何処へ行ってしまったのだろう、と不思議になることがある。すべてがそうと言うわけではないが、画面を見ずしていきなり「蓮實信者」になるのもまた危険な兆候なのかもしれない。私は身をもって「蓮實理論」を実感した。そんな意味で私は「蓮實信者」から20年遅れてやってきた風来坊なのである。蓮實重彦は、少なくとも一般の映画ファンの間ではまだ生まれてすらいない。
さて、そうして本を読んでいると、それまでの私の3年間の「独学」では見落とした部分が当然ながら幾つも出て来る。それだけ画面を見る、ということは難しいことであり、それをすべて独学で感知できてしまうほど私の頭は良くはない。その中でも「カッティングインアクション」の見落としは、私を大いに苦しめた条件の一つだった。蓮實重彦の本を読み「カッティングインアクション」の存在を知り、そして当然私はもう一度画面に立ち返り、そこで初めて「カッティングインアクション」なるものの存在を肌で確認し、我々にカットのつなぎを分からないように隠すモンタージュであるこの「カッティングインアクション」の使用の有無、使い方が、作家の性質、哲学、血統を知る上で極めて重要であることをハッキリと確信したとき、私は新たなる発見に心を躍らせると同時に、目の前が真っ暗になるほどのショックを受けたのである。
何故かと言えば、「カッティングインアクション」について見落として来たそれまでの私の映画鑑賞は、すべて「間違っていた」可能性が出て来たからである。映画は絵や彫刻ではない。一本見るのに最低でも90分かかる「時間芸術」なのだ。そんなものを全部見直せるわけがないのである。だからといってビデオテープを早送りしたところで微妙な「カッティングインアクション」はすべて見落としてしまう。これが映画を「見る」ことの現実なのだ。発見とは絶望と隣り合わせの残酷な体験でもある。
私は仕方なく、要所要所に目星を付けて、映画を少しずつ見直していった。今でもその作業は続いている。また新たに発見をすることで、死ぬまでこうしたことを繰り返してゆくのだろう。
蓮實重彦の本を読む、というのは大いなる歓びである反面、非常に辛い試練でもある。蓮實重彦の本というものはそのほとんどが「お前はバカである、お前はバカである、お前は無知である、お前は無知である」という呪文を断言命題で繰り返し反復して唱えてくるような極めて厳しい書物であって、私は何度も自分の無知蒙昧を思い知らされ、絶望の淵へと突き落とされたことか知れない。今でもそうだ。だが、「本を読む」とはそういうものだろう。もちろん私は蓮實重彦の本ばかり読んでいる訳ではないし、前述の通り、「蓮實狂」なるものには決してなるつもりはないのであって、怖いおともだち、そんな所が私にとってはちょうど良いお付き合い方なのである。
我々は、映画よりも「上」なのか「下」なのか。仮に映画を自分よりも「上」と思っているのなら、時として自分が傷つくことも、映画のためならば我々は我慢すべきなのだし、そうした方々はどんどん蓮實重彦の本を読んで思いっきり傷ついて頂きたい。
こうして私は、画面を見ていなかった私から、画面を見る私へと変貌していった。このように映画を映画本来の視覚的観点から検討をして、分かり始める第一の事は「難しい画面」と「簡単な画面」との区別である。それまでの権威と俗との関係が見事に逆転する。
例えば俗とされていた加藤泰の映画の基本は、照明と事物の配置による見事な画面のコントラストから成り立っていることが分かるし、逆に「巨匠」山田洋次の映画は、画面でなく、役者のしゃべりに依存していることもまた簡単に分かるようになる。
「シェーン」(1953)も「砂の器」(1974)もただ画面の凡庸さだけが瞳を疲弊させ、逆にサミュエル・フラーやアンソニー・マンの凝縮した画面の亀裂に瞳が釘付けになる。第二に起こる現象は「孤立」である。映画社会の中で少数派となり、孤立する。話がまったく通じなくなる。そうして次第に映画談義を避けるようになる。同時にかつて自分がその中にいた全体主義を身をもって目の当たりにすることにもなる。映画という装置はそれ自体が、極めて全体主義的継起をはらんでいる危険な装置でもあるのであり、その中で「画面を見る」という行為は、映画を自由に解き放つ一つの手段であると思っている。
私は字幕抜きの海外映画をよく見る。例えばジャン・ルノワールの映画など素晴らしい映画群は、字幕などなくても完璧に物語を楽しめてしまう。
ゴダール、トリュフォー、リベット等ヌーベルバーグの作家たちが通ったシネマテーク・フセンセーズでは、館主アンリ・ラングロウの意向により字幕は付けなかったので(「映画愛・アンリ・ラングロウとシネマテーク・フランセーズ」143)彼等は字幕抜きで外国映画の画面のみに集中し、その結果、ハワード・ホークスとヒッチコックを「発見」したのである。
(注Ⅰ)
ちなみにビデオテープを早送りさせる、という観念は私にはないし、お勧めもしない。それはただ映画のあらすじをたどる行為であり、画面を放棄した非映画的行為だからである。画面は紛れもなく刻々と現前しているのだから、それがつまらなければ鑑賞を中止すれば良いのである。
映画研究塾 2006年7月14日 藤村隆史